ここではフラワーエッセンスをもっと深く知りたーい、
勉強したーいという方のための
ページです。
「フラワーダイアリー」とあわせて参照くださいませ。目次
★花を観察するということとフラワーエッセンス療法について
★FESインテンシブセミナー体験記(2000年夏)
★フラワーエッセンスの性格研究
★花を観察するということとフラワーエッセンス療法について
生の植物をそのままあつかうとなるとその植物を育てたり、成分を知ったりする必要はあるけど、フラワーエッセンスは使用するのは小瓶に入った水の状態であること、定義集などをみても選ぶことが可能なことから、生の植物の存在を知らなくても扱うことが出来る。
フラワーエッセンスは扱う人は、自分で使う分にはそれでいいかもしれない。
しかし、フラワーエッセンスを仕事としていく場合、植物学および植物観察は必須になる。
フラワーエッセンス科という大学があれば必ず単位となるだろう。
日本ではけっこうお手軽なものとして捕らえられているフラワーエッセンスだが、療法としてのプロセスを含むフラワーエッセンスが効果を発揮するのは間違いなく、フラワーエッセンスを処方するプラクティショナーの存在が大きい。プラクティショナーがフラワーエッセンスとなる植物をどの程度理解し、経験を積んでいるのかにより、どこまでクライアントを導くことが出来るかが決まると言ってもいい。不安がやわらぐようにファイブフラワーフォーミュラを取れば誰でも一様な効果は得られる。現在の日本でのフラワーエッセンスはこの段階までで終わっていることが多い。
不安がやわらげばそれでいいのかもしれないが、不安がある度にフラワーエッセンスを取るのなら、西洋医学と同じお薬的な役割でしかない。
根本原因が取り除かれることは決してない。
過去の傷が癒えるようにスターオブベツレヘムをずっと取っている人がいるが、それを取っていれば勝手に過去の傷が癒えるものではない。自分で同時に取り組まなくてはならない。それをしたくないからフラワーエッセンスを取っているという人もいる。
そうした過去のトラウマがあるならなおさら個別で心理療法を受けたり、フラワーエッセンスのプラクティショナーについてもらう必要がある。
現在のフラワーエッセンスの認識というのはそれを取れば自分は変わろうという意識がなくても、変われるというふうにとらえられているようにも思う。
なぜ、植物観察をする必要があるのかという話に戻ると
すごく有名なバレエの振り付け師の話で桜と梅の花違いを体で表現するために、梅の季節、桜の季節に山へ観察に行った話をしていた。
彼は的確にそれを体で表現していた。
けっしてイメージや写真で表現はしない。
手塚治虫の作品には「生命」というテーマがものすごく切実に伝わる。
「火の鳥」「鉄腕アトム」「ブラックジャック」それは彼が生命とのつながりを持つ医師免許を持っていることと深い関わりがあると思う。
宮崎駿のアニメは架空の話ではあるが、リアリティのある動きを徹底的に研究することで躍動感のある動きを作ることが出来る。
ディズニーの昔のアニメ映画も実際、実写版としての映像が残っているように、実写と同じ動きになるようにアニメが作られていることで、本物のような動きを見せている。
それがプロの仕事なのだ。
すばらしいと思う人の仕事はだいたいのイメージや写真のみで何かを表現していることはない。第六チャクラのビジョンを表現するのには土台のチャクラの力も必要である。
そうしないと人々は心を動かされない。
うわっつらの知識のみでフラワーエッセンスを処方すると、まとまりのない組み合わせだったり、まとはずれなエッセンスだったり、
今の段階では早すぎるエッセンスだったりすることに気づかない。
フラワーエッセンスはエネルギー的なものであるが、物質そのものを無視してはいけない。
解剖学を知らなくても人にマッサージすることは出来るだろう。
しかも気持ちもいいかもしれない。しかし治療としてのマッサージをするためには解剖学を知らないでおこなうことは難しい。単なる素人でしかない。
「魂レベルでの植物の性質を解釈する前に、その植物を実際に見、その色、形、習性、成長パターン、季節の巡りとの関係などについて観察するという規律と訓練を身につけることが大切だ。これらの物質的な詳細はすべて、植物のエネルギーレベルでの性質について、より地に足のついた洞察内容を築いていくための基礎となる。
植物をまず物質的な存在として、感受性をもって向き合い、日誌やスケッチブックなどにさまざまな観察内容を記録したなら、その後に初めて、植物についての内的なイメージを除々に生み出し、その本質を理解し始めることができる。」
「フラワーエッセンスレパートリー」 パトリシア・カミンスキ/リチャード・キャッツ からの抜粋
植物に触れるといってもただ、花の季節にちょっと見るだけ、ガーデニングするだけで終わってしまう人もいるかもしれないが、ここでは本格的な観察が必要となる。
花のつくりやテクスチャー、その花にくる昆虫、土の性質などそれにくわえてその植物の医療的使われ方、民俗、伝承、神話といったところからも理解していくとより総合的に理解が深まる。
その植物とともに瞑想して何も知らずともメッセージを受け取る人がいるかもしれない。
しかしその植物を使ってかなり深い段階まで人の癒しに関わるレベルまで持っていくことは出来ない。その植物の本質、力を知らないからだ。
その本質を知るためにはかなりの時間と労力がいる。そんな意味でフラワーエッセンスを仕事に選ぶことは終わりのない勉強が待っているともいえる。
植物観察については
Dr.バッチのヒーリング・ハーブス―フラワーレメディー完全ガイド ジュリアン&マーティーン・バーナード BABジャパン
も大変参考になります。このレポートはFESの認定の際に提出したレポートの一つである。
フラワーエッセンスの花をよく知られているキャラクターにたとえて
その花の本質を理解するためのもので、私はアメリカ人の2人に読んでもらうのに
あえて日本人をあげた。ずっと学生の頃から興味があった高村智恵子である。
特に公開してもいいかなと思い、ここに載せることにした。
なにかの参考になれば幸いである。私にとってはざくろの花と高村智恵子は
ずっと関係が深いものだと思っていたので、私の見方には偏っているけれど。「高村智恵子とポムグラネイト」
高村智恵子は彫刻家で詩人の高村光太郎の妻であり、光太郎の詩集「智恵子抄」という本によって智恵子のことを知る日本人は多いことでしょう。
彼女は芸術家、光太郎の妻として生きながら、彼女自身表現者で、芸術家である部分との葛藤が後に中年期以降、精神の病に冒されます。精神のバランスを失ってから、入院生活の中彼女は紙絵に出会い、芸術家として花開くことになります。
ポムグラネイトが女性としての創造的自己に意識を整合することを促し、自己の正しい運命と選択をより明確に見るのを可能にするという定義を知ったときから、智恵子とポムグラネイトがあわさるようになりました。彼女の創造のエネルギーはポムグラネイトの実のように大きく熟しながら、それを表現するための環境は整いにくい立場にありました。しかし彼女は芸術家の妻として支えることも大切なことだったのです。
智恵子は、1886年5月20日、福島県の裕福な酒造りの家の長女として生まれます。
1903年福島高等女学校を抜群の成績で卒業後、東京の日本女子大学へ入学しました。当時の日本では女性にとって学問を学ぶことを勧めることもなく、中学卒あるいは小学生までしか行けない女性も多くいました。田舎ではなおさらのことです。日本での女子大学は1901年に初めて設立されたことから、かなり智恵子は日本の女性としては稀少な存在でもあったわけです。彼女は大学在中の頃から洋画家をめざしますが、女性の洋画家というのも日本ではほとんど存在しない時代でありました。
智恵子は、1886年5月20日、福島県の裕福な酒造りの家の長女として生まれます。
1903年福島高等女学校を抜群の成績で卒業後、東京の日本女子大学へ入学しました。当時の日本では女性にとって学問を学ぶことを勧めることもなく、中学卒あるいは小学生までしか行けない女性も多くいました。田舎ではなおさらのことです。日本での女子大学は1901年に初めて設立されたことから、かなり智恵子は日本の女性としては稀少な存在でもあったわけです。彼女は大学在中の頃から洋画家をめざしますが、女性の洋画家というのも日本ではほとんど存在しない時代でありました。
知人などの話から、無口でおとなしい面と大学時代にテニスや自転車などに熱中する活動的な面が彼女にはあったようです。しかし彼女の内面には常にやりたいことを貫き通す信念と情熱があったように思います。また当時の日本では20代の後半の未婚女性の場合オールドミスとして呼ばれるような時代であったために、親にすすめられた縁談を断りにくい状況にありました。しかし高村光太郎との愛をつらぬき、29歳で結婚しました。
光太郎と結婚後、彼女の人生は大きく変わっていきます。
彼が芸術家であるがために極貧の生活を強いられ、妻としてやりくりし、夫を支えていかなければなりませんでした。
光太郎が書かれた文章で以下のような記述があります。
「彼女も私も同じような造型美術家なので、時間の使用についてなかなかむつかしいやりくりが必要であった。互いにその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の仕事が停頓してしまう。そういう日々もかなり重なり、結局やっぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず・・・(略)。」
絵を描く作業というのはある程度のまとまった時間をかける必要があり、細切れの時間で創作活動をすることは不可能に近いものだと思います。そのため智恵子は後には織物やら粘土で彫刻をしたりと細切れの時間で出来る創作もので試したりしています。
彼女自身絵にたいする情熱は強かったために、描けないことにかなり悩んでいたようです。そして体調を除々にくずしていくのですが、湿性肋膜炎を30歳で患ってから、病気がちになります。34歳には子宮後屈症の手術を受けるのですが、子供がほしいと願ったのではないでしょうか。40をすぎても体調を崩していることが多く、貧乏生活もきわめて厳しかったようです。しかし彼女の精神のバランスを大きく崩したきっかけになったのは彼女の実家の経営状態が悪化し、破綻したことです。それまで体調が悪くても福島の実家に帰って田舎の空気に触れていると元気になって帰ってきたようですが、その健康のより所とする家もなくなることは大きな打撃だったかもしれません。
そして更年期の症状とともに精神分裂病の症状が出始め、47歳のときに自殺未遂をします。その後精神状態はさらに悪化して、50歳以降は入院生活となります。53歳に結核のため亡くなりました。
ポムグラネイトのフラワーエッセンスは仕事と家庭、創作活動と妊娠・出産、あるいは個人と目標の間に葛藤を感じる人に用います。智恵子が中年の危機に飲み込まれてしまったのはこうした葛藤の末のような気がします。なによりも自殺未遂をしたときに部屋には新しいキャンバスをかけて、描こうとしていたのであろう果物が並んでいたということは芸術への思いの強さが感じられます。
ポムグラネイトの赤い花は日本でも6月になるとあちらこちらで見られます。日本では鬼子母神の伝説が有名です。100人も子供がいる鬼子母神は人の子供を食べる悪癖があり、それを見かねたお釈迦様が鬼子母神の一番末っ子を隠してしまいました。鬼子母神は悲しみに暮れます。そこで子供を食べる代わりとしてポムグラネイトが与えられます。
今では鬼子母神は安産、子宝の神様とされています。
おもしろい偶然かもしれませんが、智恵子が長い間住んでいたところに鬼子母神の森というところが近くにあったそうです。
古代ギリシャやローマではポムグラネイトは非常に種子が多いことから豊饒のシンボルとされてきました。そのことは創造性と結びついていると思われます。
また、ポムグラネイトの種子の透明な部分は甘酸っぱい液汁が多く、エストロゲンという女性ホルモンが含まれており、このエストロゲンは女性の性機能の発達と妊娠機能の維持をつかさどっているホルモンにあたります。女性は年齢とともに卵巣機能が衰えてくると、分泌されるエストロゲンの量も減少します。その結果更年期障害をひきおこす可能性があります。冷え、のぼせ、頭痛、精神障害など。更年期の女性でなくても、エストロゲンはストレスなどでうまく分泌されないことがありますが、その場合は生理前緊張症のように鬱やいらいらするなどの精神的な影響を及ぼしたり、出産直後にもエストロゲンを放出した後なので、マタニティブルーのように精神的に不安定な状態になりやすいことがあります。
つまりエストロゲンは女性の心身のバランスを保つためのホルモンといえます。
智恵子が創作活動と日常の家事との狭間におかれ、精神的な病気や更年期の症状をひきおこしたことから考えると、エストロゲンの減少があったことが考えられます。
ポムグラネイトは他に果物の中でも糖質をかなり多く含んでおり、枝皮にも冬場霜害や昆虫から身を守るための自己防衛力から糖質が増えるようです。糖を蓄えてエネルギー量が多いことも創造のエネルギーを蓄え、発揮することと重なるようにも思われます。
ポムグラネイトは少し明るい朱色の花を咲かせ、その花が終わると秋のはじめには少しずつ赤い大きな実を膨らませていきます。そのやわらかな色や丸みをおびた姿は女性らしさを感じます。智恵子もまた童女のような容貌で丸みを帯びた体をしていて、よく光太郎の彫刻のモデルにされていました。
彼女は、正常な精神状態に戻ることはなかったのですが、精神を病むことによって解放されたのかもしれません。もう何も家事と創作の間で悩むこともなく、自分の創造性をフルに使うことが出来るようになったからです。それが彼女にとって紙絵だったわけです。小さな鋏を使って紙を切り抜き、色紙の上に貼り、色の構成を作り出す。その作業を体調のよい日は毎日のようにしていたそうです。その色遣いや芸術性は見事なものです。
彼女の創造性の実はこのときようやく結実されたのかもしれません。